ノーチラス

美術館に向かって足を進める。じりじりと全てを眩しく照らす太陽、煩いほどの蝉の鳴き声。日陰を探して下ばかり見つめていると、道端に寄せられたセミの死骸が目に入った。夏の終わりは近いのに、まだ太陽にこの夏を終わらせる気はないらしい。ふと目線を上げると、美術館の前にできている行列が目に入いる。おや、と思い首を傾げる。こんな猛暑日に美術館に行きたいと考える物好きが沢山いるとは思えない。よくよく見ると、どうやらそれは美術館の隣にできた新しい小洒落たカフェの列らしかった。炎天のもと待たされている客たちは、不満そうな顔1つせず、笑顔で、心底楽しそうに店内の喧騒を眺めたり、メニューを見て目を輝かせたりしている。

 

理解できないな。

ふっと意識的に店の存在を視界から追い出し、私は美術館へと足を速めた。

 

 

約束の時間より10分以上早く着いたはずなのに、美術館のチケット売り場の前に既に彼は立っていた。片手には購入済みのチケットが2枚握られている。

 

「おまたせ」

と声をかける。彼は、来てくれて嬉しいよ、というように目を細めて微笑み、

「行こうか」

と言って中へと進んでいく。私もゆっくりと、彼の後ろを追いかけた。

 

美術館の中は少し肌寒いくらいひんやりとしていて、心地よい静けさに包まれていた。炎天下の日にわざわざ美術館を訪れる物好きは、やはり私たちと、部屋の隅の絵をぼんやりと見つめている老婆しかいないようだった。薄暗い部屋の中で、照明に照らされて作品たちが淡い月のように、静かに存在を主張していた。

 

1つ1つの絵を眺めながら彼がゆっくりと足を進めていく。私は少し遅れて彼の後を追う。

「ねぇ、この美術館には来たことあるの?」

ひっそりと、呟く。彼は、次の絵の前で足をとめ、

「いや、ないかな。美術館がここにあるのは知っていたんだけど、なかなか足を運ぶ気になれなくてね。今日は、なんというか、気が向いたから」

「…そう」

また彼がゆっくりと歩き出す。私も少し遅れて彼に倣う。

それとなく何十枚かの絵を眺め、そろそろ出口に近づいてきたな、と思う頃、彼がピタリと足を止め、息を飲んだ。

 

Nautilus

 

それがその絵の題名だった。

 

「ノーチラス…?」

題名を口に出して読み、絵を眺める。心が騒めく。他の絵とは何かが違う。そんなふうに感じた。今まで見てきた絵は月明かりに照らされているのに、この絵だけは朝日に照らされているような、そんな小さいけれど、決定的な違いが、この絵にはあった。

 

隣にいる私にしか聞こえないくらいの小さな声で、ノーチラスというのは、と彼が呟くのが聞こえた。彼が芸術に関して口を開くのは、その芸術作品に彼が感銘を受けた時だけだ。彼はこの絵に何か感じるところがあったらしい。

 

私は彼の言うことに耳を傾けた。

 

「ノーチラスというのは、1800年にフランスでロバート・フルトンにより作られた、世界で最初の実用的な潜水艦だよ。素晴らしいと思わないかい?生命の母と呼ばれている神秘の海に近づく方法を彼は創り出したんだ。人が宇宙に行けるようになったのと同じくらいの感動と衝撃を与えても良かったはずだ。だが、結局、彼の作品は認められず、実戦に用いられることはなかった。無駄で片付けられてしまったんだ。当然だ。彼の作品は日の目を見ることができなかったのだから。ここで1度、ノーチラスは想像力という名の海に沈んだ。」

 

彼はここで一呼吸おいて、でも、と続けた。私は彼のいうことを1つも聞き逃すものか、と集中して聞いた。

 

「でも、その70年後、ノーチラスはジュール・ヴェルヌの手により想像力という名の海から浮上した。今度は軍事ではなくフィクションの世界で。君も一回は読んだことがあるんじゃないかな。海底2万里という小説だよ。」

 

海底二万里、その本なら幼い頃読んだことがある。確か、ネモ船長という人物が建造した潜水艦、ノーチラス号の冒険譚だ。

 

「なら、この絵はそのノーチラス号をもとに描かれているの?」

彼の話から察するにそうなのだろうと予測をして聞くと、彼は少し困ったように笑い、ゆっくりと首を横にふった。

 

「この絵は、ある物好きな音楽家の曲を元に描かれていると思う。曲名はノーチラスと言ってね、さっき話したジュール・ヴェルヌの小説、海底2万里に出てくる潜水艦、ノーチラス号から引用されているんだ。

1800年に無駄だと蔑まれたロバート・フルトンの作品は、70年後、ジュール・ヴェルヌの作品の中で鮮やかに蘇り、2世紀後、音楽に形を変え、今は絵画に受け継がれた。芸術は無駄の連続なんだよ。だから芸術に無駄なんて一つもないんだ。本来、どんなものにだってそれなりの価値がある。だから、誰がなんと言おうと、どんな反応をしようと、僕らは自分の作品を愛さなければならない。生みの親である僕らだけは自分の作品を無駄だと言ってはいけないんだ」

 

そこが難しいんだけどね、と彼は苦笑する。

 

もう1度、じっとその絵を見つめる。優しく平等に人々を包み込む朝日に照らされ、前を向く少女の絵。温かく、そして胸が張り裂けそうなほどに切ない絵だ。そしてこの絵を見ていると理由は全く分からないのに何故か、嬉しい、という感情が溢れてくる。どこか遠くで誰かが「良かった」と呟くのが聞こえた気がした。

 

「いい曲だよ」

彼が呟く。

「長い眠りから覚める曲だ。君は気に入ると思う」

そう残して彼は先に進んでいく。

 

「例えば、私たちが今日、隣のカフェに行かず、この美術館に来たのも無駄だという人がいるのかしら」

 

彼の隣を歩きながら、問う。

 

「そうだね、人はそれぞれ価値観が違うから、僕たちの行動を無駄だと称す人は五万といるだろうね」

カフェ、行きたかった?と彼が言う。

「全く。行くとしたら、世界から切り離されたと錯覚するくらい静かで、木製のテーブルのあるカフェテラスでカプチーノでも飲みながらぼうとしたい」

「僕もだよ。」

ふふ、と彼が小さく笑っていう。

 

ポツリポツリと言葉を交わしながら外に出る。夕陽の眩しさが目を焼いた。

「さて、次はどこへ行こうか」

彼が言う。

私が答える前に、私も彼も同じ方向に向かって進んでいた。駅とは反対方向の、ある施設の公共広間に向けて。

「今日は何を弾こうか」

ドビュッシーの月の光」

彼の言葉を受けてパッと思いついた曲名を言う。何故だか今日は、この曲がしっくりくる気がした。

「久しぶりに連弾してみるのもいいね」

待ちきれずに少し歩くのを早める。彼が笑いながらすぐ後ろをついて来る。

 

歩きながら月の光を頭の中で再生する。彼に譜面にはない動きを仕掛けたい。ちょっとした悪戯心だ。いつだったか、彼はこれを『愛すべき無駄』と称した。

 

今日の私たちは、どんな愛しい無駄を生み出すのだろうか。

 


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始めまして。ノクチルカです。

この話は、3ヶ月ほど前からずっと私の想像力という名の海に沈んでいました。エイミーのいう月明かりとは?エイミーはどうしてエルマに手紙を残したのか?何故ノーチラスはアルバム『エルマ』に入っているのか?などなど、考えていた時に思いついた話です。ノーチラスを鬼リピしながら昨日の夜に書きました。深夜テンション万歳。

 

この話の『私』と『彼』とは誰なのか、〈Nautilus〉はどんな絵だったのか、それは皆さんの想像力にお任せします。そのうち「私はこんなつもりで書いたんだ!」というものを上げるかもしれません(説明力と表現力が無さすぎて書ききれなかったことが沢山あるので)

 

最後に、未熟で拙い文をここまで読んで下さりありがとうございました。まだまだ至らぬ所が多いですが、気が向いた時にちょこちょこ書いていくつもりです。またご縁がありましたら、その時もどうぞよしなに。